後漢王朝の混迷  ・   倭国大乱

少年皇帝霊帝の政治

が悪く国が乱れはじめた。

黄巾の乱というのが起こり、(184年) 政治が混乱しはじめた。

また、倭も後漢の内乱によって、後漢の後ろ盾がなくなった状態になったので、伊都国を中心とする連合体は、従来のような交易の独占といったことができなくなってきた。

それに取って代わる体制 

魏志倭人伝の「倭国乱れ、相攻伐すること暦年、すなわち共に一女子を立てて王となす。名を卑弥呼という。」

 

あまりにも有名な卑弥呼の誕生、邪馬台国の誕生であります。