空白の4世紀(2)

前回に、続いて、王 義之について、なぜ詳しく書きたいか、1700年余前に、生まれた人々が、倭の国では、ぼんやりしている歴史を、実に詳しく
残っているからです。
本当は、王 義之というひとは、立場からいえば、軍人・政治家として、精進すべきで、本来は書などに、時間を費やす余裕などないはずなのです。
353年の永和9年という時代は、東晋の最も軍事力の必要な時。
北部に前蓁が、南下の脅威があり、
東晋内部でも、常に権力闘争があり、最終的には、皇帝の力が、衰退して、権力者の劉裕が、420年禅譲を受けて、宋朝が開かれることになる。

その頃倭は、中国の歴史書に、倭の五王と呼ばれた人たちが、倭を納めていた。
その中に、今話題になっている、仁徳陵、仁徳天皇がいる。