楽浪郡

楽浪郡は、紀元前108年、朝鮮半島西部にあった衛氏朝鮮を滅ぼした漢により設置された。以後西暦313年まで存在した。

中華文明の窓口であり南部韓国・日本列島の先進文明の受容に大きなやくわりを果たす。

のちの倭は、楽浪郡の力を背景に勢力をのばしていった。

時代がながれ、時が過ぎるとともに、楽浪郡南韓国も北部九州も発展していった。

原の辻遺跡では、楽浪郡の文物と出雲の土器が出土しており、出雲にも大きな国があったとおもわれる。

150ねんほどのち、日本は歴史の表舞台に登場することになる。

あまりにも有名な「漢委奴国王」を印綬するという漢を後ろ盾にすることによって、交易・先進文物を取り入れ、奴国を中心とした博多湾岸地域の繁栄をもたらした。