百済

 中国は、五胡十六国の乱 といわれる動乱時代へ突入。 高句麗は南下して楽浪郡を攻め落とした。(313年)
百済は、馬韓諸国を併合して帯方郡を占領。

当時の王は、比流王であり、楽浪郡の崩壊によって、楽浪郡の人・物・文化等々が流入してきて、かえって国力が強大化していった。
倭はどうなったか、当然 衝撃を受けたであろう。たぶん 神武天皇から6代目か7代目ぐらいの天皇の時期ではないか。
朝鮮半島とのつながりがあるとすれば、伽耶との関係。

高句麗百済新羅伽耶・倭の勢力図が、どう変化してゆくか。

百済は、近肖古王(346年~375年在位) が、百済の全盛時代をつくりあげる。

369年 七支刀 百済より倭に送られる。
370年頃 阿直岐王仁らの学者が、倭に渡って漢学を伝える。