台与以後

卑弥呼亡くなり、男王立つが国おさまらず、共立して台与を擁立する。国治まる。台与13才。
中国では、司馬氏が、晋を興し、蜀、呉を滅ぼし中国を統一する。
百済新羅も、馬韓・辰から大きく発展するようになる。
同じく倭も邪馬台国も中国をみているので、統一の機運が歴史的な流れによって、動いてゆく。
出雲・南九州・畿内等々にわかれている。 統一するために、
出雲へ、南九州へ、畿内へと勢力を伸ばすために、
御雷が出雲方面へ、ニギハヤヒ物部氏畿内へ、
神武天皇も日向からヤマトへと。
邪馬台国は台与の時代に遷都して京都郡というところ、行橋市あたり、を都とさだめたのではないか。
日本列島の統一のために西から東へと東アジアの時代の流れに歩調を合わせるかのように、
そして、大和朝廷の時代へと移ってゆく。

晋の国が順調ならばよかったのですが、おかしくなってしまった。