帯方郡

後漢末期の3世紀初めごろ遼東太守であった公孫度の息子公孫庚が、後漢の混乱に乗じて独立。楽浪郡の南を分割・植民地化した。

 

女王卑弥呼が率いる邪馬台国が、帯方郡を通じて交流・先進文化の吸収

を図ったのはいうまでもなく、公孫子が魏に滅ぼされるまで(238年)

交流が続く。