稲作

稲作の伝来によって、従来の狩猟から農耕へと変化してゆき、日本列島は飛躍的に集団生活が進みムラからクニへと規模が拡大していった。

なぜ稲作が伝わってきたか、ひとつは、呉・越といった国が中国大陸のそれも長江流域に繁栄していましたが、紀元前334年に越の国が楚に滅ぼされてしまった。 越というくには、稲作と銅の生成が盛んでした。文献によれば魏志倭人伝にある倭の国々の人々の生活様式に似ているとのこと。

首都は、紹興酒などで有名な会稽というところです。滅びたのですから

王の一族も離散し一部の人々も越から離れていったはずです。その行き先は、たぶん、韓国南部・北部九州の地域に移動移住したのではないか。

当然稲だけでなく、武器とか稲作の農耕要具、その他文化も伝来した。

日本列島は、こういった渡来人によって縄文てきなものから弥生式な生活様式に変化してゆくのではないか。

邪馬台国のひとつの国といわれている吉野ヶ里遺跡もこの時期から出発しているのではないか。